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 これこそと 生涯通して こだわりぬ 羨む人生 ここにありしか

 意図したわけではありませんが、このところ立て続けに3名の回想記を読みました。先ずは「野中広務 差別と権力」(魚住昭著、講談社、2004年)です。野中氏による自己顕示臭がやや鼻につきます。ジャーナリストには興味深いのでしょう。個々の政局での氏の挙動は語られるが、そこに氏の国を経営するに当たっての大局的な視点が見えてきません。しかし、私が永田町の国会図書館にまで行って探していた「記事」がこの本に収められていました。2012年12月21日付け記事「出口調査は違法だ!!、倭の五王(25、三輪王朝)」
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51824760.html
で、選挙での有権者の投票行動の最中にマスコミが行う「出口調査」が有権者の政治意志をゆがめていると書きました。それは、2004年ごろの月刊誌「現代」の記事と記憶していたのですがどうも違っていたらしい。ところが、其の記事、この本に所収されていたのです。以下は其の部分の抜粋です:
%%%%%引用はじめ
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第14章「恐怖の絆」中の「京都会談」から抜粋(292−293頁)
 前出の元学会幹部・岡本勇氏の証言:「この席で西口さんが野中さんの求めに応じて枡本候補支援の約束をしたんですが、投票日の午前中の段階では未だ学会員たちの動きは鈍かった。(マスコミ)の出口調査の結果では共産党が未だリードしていました。それを知った野中さんが慌てて西口さんに電話をいれた。西口さんの緊急指令でようやく学会がしゃかりきになって動き出し、共産党のリードをひっくり返すことが出来たんです」
桝本は最終的に22万2500表余りを獲得して約4000表差で井上に競り勝った。野中は西口のおかげでかろうじて自民党の幹事長代理選挙対策局長としての面目を保つことが出来たといって言いだろう。」
%%%%%引用終わり
  「投票がされている最中は、何人といえどもその結果が予測できない」。これが最低限守られるべき選挙の公平性です。それが、時の与党幹部によって蹂躙され、結果として幹部の望む方向に選挙結果は導かれたのです。結果操作に本質的役割を果たす情報が、選挙を争う一方の側の陣営たる与党幹部に供与されていたのです。「マスコミによる出口調査」です。誠に怪しからぬ話です。今更、大手報道機関に政治的中立を期待しません。気に食わない候補を悪し様にののしる記事掲載を国民は防げない。しかし、今後一切の出口調査だけは禁止すべきと思います。有権者の側も安易にマスコミの問いに応ずることが結果の捻じ曲げになりかねないことに思いを致し、それを拒否すべきです。我々は、投票終了後、直ぐに結果が知りたいとは思ってません。それよりは、各候補の主張其の論理等をじっくりと有権者に知らせるための方途(ネット解禁、戸別訪問解禁など)など、公職選挙法の改正を望みます。改正では開票作業の厳正執行の保障措置をも一項含めるべきです。

 そこで、二つ目の回想記です。それは、とある経済学者によるものです。本ブログ管理人は経済学には全く疎いので、回想録の中で語られるエピソードから思いつくあれこれのみを書いています。著者は経済問題を多く語っています。それこそが、著者がこの本を通じて読者に伝えたかったことです。しかし、内容の理解は私の力量を超えるが故、其の大事な部分についてあまり触れていません。従って、こうした評をかくことについて著者にお詫びせねばなりません。そうではあっても、戦後日本の経済復興を担ってこられたとの強い思いが行間に滲んでおり、其の自負をひしひしと感じます。そして、そうした張りのある生き方に強い羨望を感じました。

+++++「エコノミストの腕前」を読む
 6−7年前に家内と二泊三日のバス旅行で金沢から飛騨・高山を巡りました。50名ほどのグループ・ツアでしたが、金沢では丸一日の自由時間を金沢城やら、妓の置屋やらの市内見物にあて、高山へ移動しました。ガイドさんの説明で、金森長近という武将が織田信長の指示で十六世紀半ばにこの地に入り高山の城下町を作ったことを知りました。旅から戻り神田の古本屋街で見つけたのが「飛騨金森史」(1986年編纂)という200頁余の冊子です。面白く読んだ記憶がどこかに残っていたんですね。先日、市の図書館で「エコノミストの腕前」(金森久雄著、日本経済新聞社、2005年5月)という本の著者の名前が目に留まりました。著者は日本のとりわけ戦後経済を牽引して来た経済学者です。パラパラと頁を捲ると、著者の先祖さんはどうやらこの高山の始祖・金森氏につながっているらしいことを知りました。早速借り出し、読み進めました。著者は、経済学者として時代時代の経済分析・特徴を丹念に書いています。生憎それを受け止める素養が現ブログ管理人には欠落しているので、著者が処々で交えるエピソードに絡むことにします。

 著者は、内閣法制局官僚・金森徳次郎氏と女流画家の間に1924年誕生しました。出生地は本郷森川町といいますから、前田家・上屋敷と水戸家下屋敷近辺、中山道・岩槻街道の本郷追分(分岐点)辺りでしょう。岩槻街道を徳川将軍は日光参詣の際通ります。このあたりは、私の好きなチャンバラ小説の舞台でもあります。下は江戸時代の絵地図(元禄九年[1696]版を天保十四年[1843]再版したものです)です。右が北方向です。左の「羊羹屋」は夏目漱石の小説「我輩は猫である」に登場する「藤村」です。亡母の大好物でした。が、大分前に閉店されているようです。勿論江戸時代にこの「藤村」があったとは思えません。この「藤村」前を東(図では下)に進むと湯島天神の脇を経て不忍池に至ります。
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 徳次郎氏は戦後、日本国憲法の起草に国務大臣として中心的役割を担いました。著者が小さい頃のエピソードに1936年の226事件があります。徳次郎氏は高級官僚であったため、若手将校のテロ標的になる可能性があり、名古屋に単独で避難したとあります。
 著者は、その後(旧制)浦和高校(現在の埼玉大学)から東京大学法学部に進み、高等文官試験に合格し商工省(現在の経済産業省)に入所します。反骨の官僚といわれ、商工省初代の労働組合委員長でもあった佐橋滋氏は1913年出生とあります(「官僚の夏」、城山三郎著、「通産官僚の破綻」、並木信義著 など 佐橋氏に関する著作多い)。著者は同省の組合副委員長も経験したと書きますから佐橋氏との接点があったと想像します。著者が佐橋氏をどのように描くかに興味があるのですが、この本では触れられていません。著者の関心が産業構造から経済分析・統計に移ったせいのようです。この頃に資本論を熟読したそうです。当時の指導的経済学者との議論を経つつ経済学を深めたと書きます。本の後半で、ご自分の経済学研究を振り返り60%がケインズ、20%がシュンペータ、15%がマルクス、5%がフリードマンと書いています。

 経済学に疎い私ですら名前を聞いたことがある大内兵衛、川田侃などの学者が多く登場し、夫々の方との議論・エピソードも興味深く読みました。著者の奥方は著名な物理学者・金原寿郎博士のお嬢様とのことです。理工系学生は、大学入学後物理現象の思考法・数学的ハンドリングに習熟するべく、様々な演習問題を解かねばなりません。私が購入した参考書の一つが金原博士が編集された「大學演習・物理学」(裳華房、1961年刊、480円)でした。未だに書棚にあるその本の見開きを見ると、6名が分担して「質点の力学」、「振動」・・・等などを執筆しています。半導体技術が実用に供せられる直前の時代を反映し、「電子」の項目では「三極管」に関する演習問題が並んでいます。興味深いのはこれら分担執筆者の肩書きが全て「理学士」です。金原先生は、貧困の理学部・大学院生に「学資を稼ぐ」機会を与えていたんですね。

 日本の戦後の経済復興で中心的役割を担ってきた著者は其の経験とノウハウを各国に伝える役割をも果たしてきました。其の一つが(旧)ソ連での講演と見聞記です。スナップ写真が載っていますが、なんとそこに「私の大学時代の後輩」が写っていました。其のソ連でのエピソードです。著者は「自由化、自由化と西側は叫ぶが、ロシアにはどこにも大きな自由市場がある。」、「ソ連の食料危機を言い立てるが、ソ連には充分な食料がある」と書き、帰国後、それは日本で一しきり話題になったとのことです。私事ですが、1980年モスクワ・オリンピック前後にモスクワに住んだことがあります。ベストセラ「戦後の正体」を著した孫崎享氏が外交官としてモスクワに滞在したと同じ時期であることを最近、氏の著書奥書から知りました。
 著者が言うように「リーノック」と呼ばれるドーム状建物が市場(いちば)となっており、少々市価より高めですが街中では入手し難いほうれん草、野蒜などの生鮮野菜、肉などが入手できます。豚の頭、あるいは豚のどでかい脂身、等が店頭にうずたかく積まれています。リーノックに頼らずとも長蛇の行列に並ぶことを厭わなければ確実に食料は入手できました(2011年2月15日記事「枝野官房長官と小室直樹氏(「新潮45」3月号)」に体験エピソードを書きました)。「グム」と呼ばれる国営百貨店では日用家具も揃っています。そこで購入した魔法瓶に熱湯を入れたら破裂したなんぞの笑い話も聞きましたが。
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51677172.html
 もう一つ、これも私事です。10年ほど昔、カザフスタン国で仕事をしたことがあります。秘書と運転手さんはどちらも社会主義経済と市場経済の両方を体験しています。二人が口を揃えて言ったことは、「社会主義崩壊前は、バタ、肉、果物は確実に入手できた。しかし、今はそれが確かでない。金持ちが金儲けのために買占めするからだ」と。更には、秘書さんが「昔は、ポリクリニクに駆け込めば病気の子供を診てもらえたが、今は治療費が高く医者にかかれない。なにせ、数年前に始まった医療保険制度は、担当役人が掛け金を持ち逃げしたため壊滅した。(年金を厚労省役人が浪費するという同様事件が日本でも起きているので他国のことを笑えない:管理人注)。先日も高熱を出した旦那の尻を剥いて、アポテカ(薬局)で買った注射針を私が突き刺した」と語ります。二人が言うには「自由は有難いが、下手すると飢死、病死をする自由だ」と付け加えました。10数年後の現在、どうなっているのでしょうか?この本で、著者は戦後の復興期に当たって「計画経済」か、それとも「自由経済」かで模索があり、当時の時点では、著者は「計画経済」に傾いていたと書いています。

 この本の著者は、現在も世界の地震学を牽引する学者のお一人である米国カリフォルニア工科大学名誉教授・金森博雄博士の長兄です。父51歳時に出生したので、どうなるものかと案じていたがと著者は嬉しげに誇るべき末弟を書いています。

 さて、著者は、あるとき京都出張で奥様を同行された際、京都駅の食堂で奥様が「柴漬けっておいしいわね」とポツリとおっしゃったとのこと。そうなんです。だからこそ、私は再度、日本の野菜生産者、漬物製造者にお願いしたい。国産の野菜を使った国内製造業者の手になる「美味で安全な漬物」を食わせてくださいと。