重い風 谷のうぐいす 長く啼く

風が薫った5月がすぎ、湿気を帯びた風が重苦しく感ぜられるようになりました。林の鶯も、このところ、もっぱら谷わたりです。そういえば、色々な小鳥達が口にわらしべなぞを咥えています。そろそろ巣作りのときのようです。

 前回地震の波のエネルギとマグニチュードとの関係を書きました。1945年に広島に投下された原子爆弾の規模はTNT火薬で20kt弱と言われています。そこで、これを先の地震の式に代入するとマグニチュードとして6.3を得ます。これの意味するところは、20ktのTNT火薬の爆発に相当するエネルギが、マグニチュード6.3の地震に相当すると言うことです。

 一方、この20ktを核実験の式に代入すると5.4を得ます。実は、核実験の式を使う事は適当ではありません。何故なら、核実験の式は、地下で行われる爆発実験に適用されるべきものだからです。広島の場合は空中で爆発が起きており、夥しい放射性物質と熱風が15万もの人命を奪っています。
 それはさておき、前回書いた事は、核実験の規模を見積もるに当たっては、核実験の現場で放出された全エネルギの1%以下の情報からそれを推定していると言うことです。

 図で、横軸は地震計に記録された波から、それが地震によると仮定した時に。算出されるマグニチュードです。縦軸は、TNT換算の規模(kt)です。青と緑は、地下核実験(前前回二つの式を書きました)、赤は地震です。核実験では、地震計の記録から算出し見積もる事のできるTNT換算規模より遥かに大きい規模なのです。例えば、マグニチュードが5.5で、100倍、6.6ぐらいになると、やっと1.2-1.3倍ということが図から読み取る事ができます。しかし、核爆発のエネルギがすべて地動のそれに変換するというのは考えにくいので、グラフの青線の適用限界は、マグニチュードが6近辺であろうと思われます。一方緑の線は6.5を越えても10倍程度の開きがあるので、まだ使えるのかもしれません。このような大きなマグニチュードに対応する規模は図からメガトン級の実験ということになります。
 さて、小難しい事を長々と書いたのには理由があります。それを次回書きます。
(つづく)
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 先ずは、一般に解釈が避けられてきた「玉尅春」の解読に挑戦します。歌の舞台が肥前・筑後である事を想起すると、「玉」に関わる神社をこの地域で探すことにしましょう。それが、高良大社です。

 高=蘇我一族を祀る神社が久留米の「高良大社」で、そこには、祭神「高良玉垂尊」が祀られています(「古代氏謎解紀行、九州編」関裕二著、ポプラ社、2008年)。高=蘇我一族の信仰のご神体を表象するものは「玉」であったと思われます。それは、一個の「玉」というよりは、数珠のように多数個が紐で繋がれたものであったのではないでしょうか。「数珠」はギリシャ、エジプトから、中央アジア、でごく普通に見られます。ギリシャの友人から聞いた話ですが、この数珠のギリシャ語は『暇つぶし』を意味するそうです。これを常に大王が腰から、或いは腕に「垂らしていたの」では無かろうかと思います。一説には「玉」を「魂」と解するようであるが、そうとすると、「垂」が理解できなくなります。古代天皇の和風諡号にしばしば使われる「足」(たらし)の起源は「垂」ではないかと想像できます。そもそもは数珠玉を垂ら(足ら)している一族という意味であろうと思われます。

 「春」に「祓う」の意を重ね、新しい玉を刻んで(穴を穿ち)数珠となし、「魔よけ」(邪を祓う)を祈願するのでしょう。時期は、通常、春ではないと思われます。何故なら、それが通常春になされるのであれば、「玉尅」だけで、聴者は時期が春であることを知ることができるからです。戦乱の兆しがあり、やむなく、「春」の時期にこうして数珠を造ることとなってしまったことを強調していると思われます。

 さて、場所です。万葉集では、「野」は平原を意味せず、「丘陵」又は「山の山腹」を意味していると思われます。大宰府の北、大野城界隈の山腹、又は肥前大和の山腹に大野という地があります。刻んだ玉を聖なる場所に垂らし、多数頭の馬を並べたのでしょうか。騎馬民族伝来の宗教儀式が踏襲されているのではないでしょうか?大宰府の北の大野城の北麓に「内野谷」という場所があります。もうひとつ、既に書いた「巨石パーク」を嘉瀬川に沿って北上すると「内野」があります。嘉瀬川はやがて西に向かっておおきく流路を変じます。変曲点で流路からはずれ、そのまま北上すると大野があります。

(つづく)