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今日の愚作(句):
紫の じゃがの花に 黒アゲハ
 ジャガイモの紫色の花の上を大きな黒アゲハが舞っていました。今日は久しぶりに暑い一日となりそうです。

+++++万葉集二十二歌(2)
 この歌は原文そしてそこに使われている漢字をじっくりと眺めていると、歌の意が自ずと浮かび上がってきます。
原文は:
河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
です。

 いきなり、場所の名前が出現しているのです。「河上」は、「川の上流」ではなく、場所の名前なのです。三歌の解読で、斎明天皇の五年正月の記事を引用しました(当ブログ4月15日、4月17日)。あの記事で引用されている「川上」が、この「河上」です。そして九歌の現場「都渡城」もまたこの「河上」のすぐ東です(当ブログ6月28日)。有明海に注ぐ嘉瀬川を遡上すると、大和町に達します。そのすぐ北に川上峡温泉があるのです。この歌を詠んだ場所はここである事はまちがいありません。
というわけで、繰り返しになりますが、場所は嘉瀬川の東岸と言う事になります。

九歌の解釈で書きましたが、ここは温泉地なのです。「湯津盤村二」と続きます。「湯」という漢字が使われています。温泉ですから赤味をおびた硫黄質の蒸気の噴出で草は生えないのです。「常丹毛」の「丹」は赤色、「毛」は「(湯)気」を意味するのでしょう。

湧き出る水は温かいんですね。だから、「常處女煮手」というわけでこの暖かい湯に手を浸して手を温めているのです。それが、あたかも「手を煮ている」ようだと情景描写をしているのです。見事としか表現しようがないほどの巧みな歌であると私は思います。

 この「煮手」を、誰か歌の読み手(音声を出して歌を読み上げる人)が抑揚をつけて読み上げたとしても、聴衆に情景が伝わってきません。横に板にでも記したこの文字列を見てこそ、「湯に手を浸している」情景が思い浮かんでくるのです。万葉集は、耳だけでなく、目でも味わうものなのです。

 ところで、この歌で、十六歌から延々と繰り返された悲しみが締めくくられているように思います。とすれば、歌の背景は、以下のような事と想像できます:
 病気療養であのお方は、かってここに滞在されたのです。遊山ではなく、湯が体に良いと聞き、この地に来ていた事を思い出しているのです。とすれば、相変わらず、姿を消したあの御方の面影をしのんでいる気持ちが詠われています。

 私が付するこの歌の意は次のようなものです:
 河上の湯の出るあの岩のあたりは、草が生えずいつも赤み(丹)を帯びた湯気(毛)でけぶっています。そこにいつものように、あの方(女性)が、おのが手をまるで煮ているように湯に手を浸して温めて(煮手)いてほしいものだ。

(つづく)

+++++時事ネタ(シオン長老の議定書)
 この議定書は更に続きます。権力を握り、それを維持するための思考法があけすけに語られているのです。かって、小泉・竹中時代に、圧倒的多数の国民の「改革」への支持を勝ち得るべくさまざまな術策が用いられた事が、今になって、ポツポツと明るみに出されてきています。そのうちの一つが国民の知的レベルをB層と位置づけたことでした。

 Wikipediaは、B層をこう書いています:竹中平蔵の知人が代表を務めるスリードが、2005年の小泉内閣における郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から依頼された際に定義した概念である。その後、ポピュリズムに動員される国民層を揶揄する意味合いで使われるようになった。
スリードの企画案では国民を「『聖域なき構造改革』(以下「構造改革」)に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む概念とされる)」を縦軸として分類した時に、「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立?肯定的な層をB層とした。主に主婦や教育レベルの低い若年層、高齢者層を指すものとされる。
資料中に使用されたIQ(知能指数)の語が物議を醸した。

 小泉・竹中政治はまさにこの議定書路線を地で推し進めたのではと思わさせられます。
(つづく)